12.13.2011

消える魔球

Canon EOS1DsMkⅢ Sigma reflex600mm ISO100
シャッターは1/320~1s
1秒ならぶれないと踏んでいたが月はやはり少し動いていた
一昨日の皆既月食を撮影した写真を並べてみたものを見た友人が、
フェイスブック上で残してくれたコメントが「消える魔球」だった。

47年も生きてきたが、約4時間フルタイムで皆既月食を見たのは初めてだった。
星飛雄馬の消える魔球もリアルタイムで見ていたが、
少年ソフトボールのキャプテンで、消える魔球の夢は途絶えた。
もし子供の頃に、月食をフルタイムで眺めて
身近な人が撮ったこういう写真を渡されたら、
今とは随分違う人生になったかもしれないと思えるほど楽しい経験だった。

先日、NHKのドキュメンタリーで宇宙飛行士の若田光一さんの特集を見たが
子供の頃からの夢であった宇宙飛行士になるために
20代で日本航空のエンジニアを辞して、今年で48歳。
来年は国際宇宙ステーションのキャプテンとして再び宇宙に長期滞在するらしい。
私より一つ年上のおじさんが、ロシア語で過酷な訓練を行い
屈強なアメリカとロシアを中心としたアストロノーツ達のキャプテンとして、
生死をかけて仕事をしているのが、なんだかとても羨ましい気がした。

今年一年を締めくくる漢字に「絆」が選ばれたようである。
日本人が家族・友人のことを想い、
今こそ本音で助け合うべき時であるのは間違いないと思う。
誰もが年賀状で新年の喜びを心から表すことができるかどうか考えてしまう一年となった。

私が思う今年の漢字は「嘘」である。
「ただちに影響は無い」という「嘘」からはじまった負の連鎖が
地震で大打撃を受けたこの国を覆い尽くしてしまったように感じる。

まつりごとではなく保身に走る政治家や、誇りを失ってしまった大手新聞が
「嘘」を重ねるうちに、日本はとんでもないことになってしまうのでは?と
国民みんなが危惧している。
そして、健康被害が顕著にでる可能性のある子供達は、
じつはその様子を確実に心の中に焼き付けているはずである。

「消える魔球」や「皆既月食」を素直に見つめ、
思いのまま育って欲しい子供達のためにも、
大人が自分の生き方を見つめなおして、
嘘をつかない生き方を「見せ」なければならないと強く思う。

日本人が様々な苦悩に包まれたまま
年末を迎える・・・

12.09.2011

アサヒビールイメージガール1995・盛美恵

居酒屋の壁で、酔っ払いに向かって微笑んでくれるビールのポスターは、
もはや現代における「浮世絵」だと思っている。

1994年夏、瀬古師匠が数年担当していた
アサヒビールイメージガール盛美恵さんのポスター撮影に
アシスタントとして連れて行ってくれた。
約一週間、沖縄で朝から晩まで撮影を繰り返す夢のようなロケだった。
一日で真っ黒に日焼けした体は、日に日にどす黒くなり、
油断してサンダルで仕事をしていたもう一人のアシスタントは足の甲が膿んで
使い物にならなくなっていた。
空模様と時間を考えながら、灼熱の暑さのなかで
連日フルタイムで撮影をするというのは、いくらアシスタントがたくさんいても、
傍からみてるよりはずっとしんどいものである。

ある日の午前中に、師匠がすこし具合が悪くなってしまい
近くの病院に点滴を受けにいくことになった。
「中山、お前撮れるだろ?すぐ戻ってくるから2,3カット進めててくれ」
そんなことを言って、師匠は現場からいなくなってしまった。
そんなわけで、覚悟を決める間もなく半日カメラマンに任命されて
いきなり写真を撮ることになった。
カメラの操作や、レフの使い方はいくら把握していても
やはりいきなり現場で絵を決めて、大勢のスタッフによる大船団を動かすのには
さすがにどきどきした。
当時は、あまり具体的なラフはなかったこともあり、
現場で美味しいところで狙う感じが多かった。
自分の写真に関しては、意味不明な自信はあったが、
いきなり誰もが知ってる全国区のアサヒビールのポスターである。
ファインダーを覗きながらはじめの2、3枚はきっと指とか震えていたかもしれない。
今も御世話になっている日本コマーシャルフォトの大久保さんにも
レフを持っていただいたりしながら無事数カットを撮影することができた。


それから数年後、カメラマンとして独立して、
師匠に「悔しかったらこのくらい買ってみろ」と
散々言われていたベンツ300TEも中古で買った。
オフにはハワイくらい行かないと話しにならんだろ?
などと意味不明にハワイに遊びにいった。
そしてハワイで生活をしている盛美恵さんの自宅に御邪魔した。
出迎えてくれたのは、なんと盛さんの彼氏だった。
親も同居してる家で、彼が出迎えてくれるなんて、、さすがアメリカである。
リビングに入ると、壁にアサヒビールのポスターが額に入れられて飾ってあった。
自分が撮影したカットが一枚ポスターになったという話は聞いていたが、
そこに収まっていたのは、震えながら撮影したまぎれもなく私が撮ったものだった。
「私が一番好きなポスター、中山さんが撮ってくれんだよね~」
最高に嬉しい一言だった。
大事にしていたストックを一枚頂いた。

Canon T90  Velvia +1/2
はじめは、やしの葉っぱも背景に垂らして
ベンチも入れた引きで狙っていたのに、
気が付いたらここまで寄っていた・・

それから、かれこれ10年以上が経ち、
レフを持っていただいた大久保さんの御紹介を頂いて
2007年度の篠原真衣さん、2011年度の春輝さん、
そして来年度の坂井裕美さんの撮影を担当させていただくという幸運にも恵まれた。

来年度で26年目を迎えるアサヒビールイメージガールのポスターというひとつの「文化」が、
いつまでも続いてほしいと思っている。


ここだけの話で、付け加えておきたいことが一つ。
以前のアサヒビールの担当者だった岩崎さんが年末に送ってくださっていた
アサヒスーパードライが、めちゃくちゃ美味しくて、
我が家に遊びに来た方に気軽に出すのも躊躇われるほどで、
絶対になにか秘密があると、ずっと気になっていたが、
その謎が解き明かされた商品が発売になっている。
ギフトだけの特別なスーパードライ
年末には、自分に御褒美で、買える値段のマルゴーを飲んだりもするが、
実は、それに負けない笑顔になることが出来るビールが
ビックカメラでオーダーできるのである。
ビール好きな方は、是非!

11.19.2011

本田圭佑

2009年、雑誌GQの侍特集を撮影させて頂いた。
その中に本田圭祐さんがキャスティングされていて、
彼の母校である石川県の星陵高校に向かった。

オランダの2部リーグのフェンローでMVPを獲得した彼に会うことができた。
ビックマウスと称されて、えらそうに振舞うことは聞いていたが、
実際に彼に会った印象は、逆に慎重に言葉を選びながら、
むしろ自分の弱みや立ち位置を十分に理解した慎重な男に思えた。
中学でユースに選ばれることなく、自分の過去を清算するようにして
一人で故郷をはなれて星陵高校に行った少年は、
思ったとおりの賢い男だった。
サッカーに命を捧げようとしている男は、
両腕に時計をはめて、全てはサッカーのために、であることを体現していた。
挫折とコンプレックスをリセットするために
慣れ親しんだ大阪を離れて高校に通い、
国内ではあまり目につかないオランダの2部リーグで
成績の出ない辛い時期を乗り越えた彼は、
日本のマスコミが面白おかしく騒ぐような男ではないことがわかった。

決して下を見ない、常に大きな目標を掲げる彼の生き様は
そんな経歴を知れば、男なら誰でも納得できるはずだ。

男には人生において、2度「貌」(かお)が変わる瞬間があると思っている。
一度は自分の生き方を見つけて、少年から男になる瞬間。
もう一つは、死の直前に、生きるエネルギーが抜け落ちて体が朽ちていく瞬間である。

今思うと、この時に彼を撮影した直後、彼の貌が変わったように思う。
ロシアに渡って、髪を完全に金髪に染めたせいもあるかもしれないが、
間違いなく世界一のサッカー選手を目指す覚悟がその貌に刻まれて、
決して今の状況に甘んじることなく、常に上を目指しながら
自分を強く信じて戦う侍の面構えとなった。
その貌は、南アフリカのワールドカップで雄叫びをあげていた。

8月にモスクワの戦いで、半月板を損傷した彼が
再び活躍することを疑うつもりは毛頭ない。

早く帰って来い、本田!

そして次に会うときは、
世界一のサッカー選手として撮影させて頂きたいと思っている。

Canon EOS1DsMkⅢ 70~200mm


11.14.2011

DOUBLEBLIND

DOUBLEBLIND(ダブルブラインド)とは、
我が家の設計をお願いした上田さんが建物に付けた名称である。

7年前に、東京での高い賃貸家賃に嫌気がさして、
建ててしまった借金コンクリートの自宅兼事務所。

親父が大工であるにもかかわらず、
コンクリートな家に住んでみたくて、
たくさんの有名な設計士に連絡を取った。
住宅の設計料は誰に頼んでもそんなにびっくりするほど差があるわけでもなく、
超有名どころは着手までに時間がかかるという返事ばかりだったが、
実は、一番好きな感じだった上田さんに、運良くお願いすることが出来た。

科学特捜隊本部のようでもあり、
パッカリ開いて、マジンガーZが出てきてもおかしくない建物が出来上がった。

夏は超暖房、冬は超冷房。
はじめの年は、油断してエアコンを使いすぎて
電気代が月7万円もかかったこともあった。

都内のラボ(フィルム現像所)があがりの配送をしてくれるし、
使いやすいコンパクトな暗室が欲しくて都内に建てたのはいいが、
デジタル時代に勝手になってしまい、放射能もふわふわ舞い散る有様である。
生きてて、あまり後悔はしたことはないが、
なんとも言えない苦い買い物になってしまった。

オートクチュールな自分と家族の為だけの意匠の家に住むというのは、
結局はデザイナーのエゴをどこまで楽しめるかどうかだと思う。
白い床と天井は、掃除はめまいがするが普通に気持ちがいいし、
家で写真を撮るときにはとても重宝である。
傾いた壁やドアのない生活空間も、はじめはギクシャクしたが
慣れればすぐに愛着の沸く心地よい空間となった。

住むようになって数年してから、
イタリアの有名な雑誌インテルニから建物の取材をしたいと連絡があった。
「収納がほとんどないために家中にものがあふれていて、
私自身もフォトグラファーだけど、写真を撮るのは難しいと思う。
デザイナーの竣工写真を使ったほうがいいよ。」とアドバイスをしたにもかかわらず
編集とカメラマンは香港まで来たからということでやってきたが、
笑いながら家でお茶を飲んで、ほとんど仕事をしないで帰っていった。

iPhone4
階段脇に敷き詰めた1200枚のポラロイド
隣の民家が取り壊されて空き地になったので
ポラロイドでホックニーしたときの写真。
今では、隣に新たなビルが建ってしまった。
何千万もかけて建てた自分の家さえ、
好きな角度から眺めることも出来ないのが東京というところである。
モデルに志願して頂かないかぎり、
なかなか入ることが許されないいつも散らかっている現在の我が家である。

10.29.2011

ダルビッシュ有

現在発売されている雑誌Number#790の巻頭記事「美学貫徹」が面白い。
ダルビッシュ投手のことが実にうまく書かれている。

2007年のプロ野球がシーズンオフを迎えた頃、
ナイキの広告で撮らせていただいた。
当時は、ほとんどこういった撮影に出演していなかった彼に対して、
スタジオ内には、とてもぴりぴりした空気がながれていた。
めったに写真を撮らないということで、
広告用の素材以外にも、所属芸能事務所用の宣材と、
子供達の写真コンテストの審査風景も撮影することになった。

もちろんケアーすべきことはしっかり気を付けるが、
依頼されたものはきっちり撮るのが私の仕事である。
ぴりぴりしてるだけでは、撮れない写真もある。

非常に失礼な言い方かもしれないが、
テレビ等で彼を見ていておそらく純粋な野球バカなんだろうと勝手に思っていた。
ストイックなまでに自分の野球道を突き詰めるからこそ、
まわりに誤解されるところもあるのだと勝手に感じていた。

はじめに控え室で子供達の写真を見てるシーンをスナップした。
撮影の現場で、まわりから腫れ物でも触るように扱われるダルビッシュさんの顔が、
子供達の写真を見た瞬間、とても可愛い笑顔に変わった。
それはカメラが向いているとか向いてないは関係なく、
彼の心からの素の表情だった。
スタジオでの撮影も、この笑顔を頂こうと思いつつ審査の模様をスナップした。

スタジオ撮影となり、広告用の写真を撮り終え、
宣材用にスタイリストが用意した洋服で数枚撮った瞬間、、、
身重の女性がトイレに駆け込むように、彼が口を押さえながら白ホリから走り去った。
20人以上はいたであろう関係者が全員凍りついた。
大方の人は「撮影終わったな・・・」と感じたかもしれない。
引きつっているスタッフの空気を感じながら、
カメラをワゴンに置いてトイレに彼を追っかけた。

彼はトイレで嘔吐していた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。シーズンオフにはよくあることですから、、すぐ戻りますっ」

スタジオに戻って、スタッフが心配するなか、いささか不謹慎だが少し嬉しかった。
シーズン中に自分の能力を極限まで引き出そうと集中していたからこそ
シーズンオフになって体調がおかしくなるのである。
彼の野球にかける気合が、目の前で感じられた貴重な体験だった。

重ね重ね不謹慎だが、人間、、ゲロを吐くようなことをすると、
ある意味体が軽くなって、いい意味で体の力が抜ける。
心の中で「おし、いいのが撮れる・・・」と勝手に思い込んだ。

数分して彼は何事もなかったように立ち位置に戻って来てくれた。
そして、なかなかお目にかかれない素晴らしい笑顔を撮影することが出来た。

この時の宣材用の写真は、雑誌の表紙になったり、
時計をしたポスターが新宿の駅にずらりと並んだりした。


日本屈指の職業ピッチャー・ダルビッシュ有さんが
気合を込めた2011クライマックスシリーズが始まった。
先ほど、7回で降板したが、まだまだ見ていたかった。
彼自身は、まわりがあれこれ詮索するのは最も嫌がるかもしれないが、
もし彼がメジャーに行ってしまったら、日本の野球の魅力がまたひとつ減ってしまう。
野球道に命を捧げたサムライがどんな道をえらぶのか?

ツィッターの、振りかぶって投げてくれ、という書き込みに
きちんと応えてくれるような夢のある大投手は、
ベースボールをプレイすることになったとしても、
きっと、我々を楽しませてくれるに違いない。

Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 120mm

10.27.2011

横浜ベイスターズ

横浜ベイスターズのメインスポンサーが再び変わるようである。
プロ野球チームを持つ会社なんて誰でも知ってるマンモス企業と思っていたが、
最近は世間の多様化によってあまり関わりのない会社がスポンサーになることもあるようだ。
私個人が社会勉強が足りないのは仕方ないが、
携帯でゲームをやらない身としては、
「横浜モバゲー・ベイスターズ」なる名称は
なんともニュータイプな響きである。


2002年、営業に伺ったことのなかった広告の制作で有名なタグボートから連絡があった。
東京放送=TBSが新規のオーナーになるにあたって、
大々的にキャンペーンを行う為の撮影の依頼だった。
私の他に、スポーツ写真に長けた方も3人キャスティングされていて、
沖縄のキャンプにお邪魔して一泊2日で一気に撮りまくるというものだった。

さすがに、テレビ・BS・ラジオを網羅するTBSという会社のキャンペーンということで
現場の挨拶では名刺がいくらあっても足りないほどだった。
もちろん名刺交換などしない重鎮のような方々も数多くいらっしゃった。

映画「十三人の刺客」で役所さんが叫んだ「斬って斬って、、斬りまくれ~!!」
のような合図を出すことはなかったが、
4人の日雇い浪人カメラマンの
いい首(写真)を取った(撮った)もん勝ちな空気がとても楽しかった。

私以外のカメラマン3人の武器は
当時発売されたばかりのイオスのフルサイズデジタル。
私は当時はまだデジタルに本格的に移行しておらず、
イオスのフィルムボディとハッセルVで立ち向かった。
2日目の朝の集合写真は私の分担だったことと、
4人とも35ミリだけで狙うと絵が似てしまうと判断したからである。
ただ、、デジタルカメラ背面のモニターで絵を確認しているのを見て
「ちょちょ、、いいな、、それ・・」と思ったものだった。

なぜか予算はあるはずなのにADと同じ宿泊部屋になっていて、
少し不思議だったが、なんともAD氏は朝まで飲んでいて
部屋にはほとんど戻らないまま朝を迎えた。

本来は15人くらいの集合であれば撮影用のお立ち台を用意すべきところだが、
打ち合わせではすっとぼけてわざとそこには触れなかった。
経験上、あまりきちんとした台を組んでしまうよりも現場の空気で並びを組んで
撮ってしまいたかったからである。
今思えば、少し乱暴な作戦だったが、その時はそうしたいと思ったのだからしょうがない。
そこに、ほとんど寝ていないAD氏はお立ち台代わりに箱馬を用意して登場した。
東京では、狼の皮をかぶった狼なポルシェで打ち合わせにやってくるAD氏に
箱馬を用意されて、切抜きでいきますといわれたので、台を組んで撮影することにした。
少し変化を付けたくてハッセルの903SWCですこし斜めにに狙って、
一枚ずつ「よ~~こ~まはベイスタッズッ!」と声をかけながら15回ほどレリーズを押した。
わずか数分の撮影の後、AD氏から「掛け声、最高っw」を頂いた。


それからしばらくして、、濡れた手で触るとインクが溶けるんじゃないかと思えるほど
黒インクが山盛りに印刷された巨大なB1ポスターがたくさん送られてきた。
あがりはフィルムでもデジタルでも好きなほうで、、と言っていた意味がわかった。
アメリカンコミックのようでもあり、浮世絵のようでもある。
スタジアムに掲出されるためのとてもパンチのあるユニークな仕上がりだった。

スタジアムに派手に飾ってあると教えていただいたので、見に行った。
横浜スタジアムのいたるところにそのポスターは貼られて、
入り口の導線上には等身大の普通の切り抜き写真の選手達がずらりと並んでいた。
この時、他の方がデジタルで撮ったものと自分がフィルムで撮ったものが
そんなに見た目変わらない感じで見れたことが、
その後、デジタルを導入するきっかけになった。

なかなか複数のカメラマンでひとつの現場で同じ仕事に向かうということはないが、
もしチャンスがあったら、
「撮って撮ってっ撮りまくれ====!」と大声で叫びたいと思っている。

カメラマン4人で戦った2002春の陣 
iPhone4

10.22.2011

三浦 雄一郎

2009年、雑誌GQの仕事で三浦雄一郎さんの撮影をするために銀座の東映へ向かった。
映画「剣岳」を三浦さんに見ていただいて、感想を伺うためだった。

とても気持ちのいい映画で、編集の山本さんも興奮していた。
映画の余韻にひたる暇も無く、別の部屋でストロボを準備しながら待っていると、
雪山用のストックを杖代わりにして三浦さんが登場した。

少し足をかばっていらっしゃったが、顔ははつらつとして元気そのものだった。
32歳でスキーの世界記録時速174キロを達成し、
60歳を過ぎてエベレスト登山を決意して、
メタボだった体を絞って70歳と75歳の時に2度も
エベレスト登頂を果たしている鉄人に一度お会いしたかった。
思ったとおりの懐の大きな優しい方だった。
思えば親父と一つ違いである。
こんな元気な親父を持ったら、きっと心配な反面、、
いろいろ笑って酒が飲めそうである。

60を過ぎてこんな行動力を持てることに驚くとともに、
人間なんてものは、やる気さえあればいくつになってもなんでも出来るのだと、
強く背中を押してくれているようで嬉しくなる。

放射能という強烈な敵が立ちはだかってはいるが、
まだまだ、人生もう半分、捨てたものではない・・

使い込んだストックとともに

この時、御一緒させていただいた編集の山本さんが職を辞して、
Sumallyというソーシャルネットワークを立ち上げた。
野心と夢の塊である彼のことだから、
まだまだいろいろと形を変えるのかもしれない。
2011年、大地震と津波と原発事故が発生し、
人々が物を所有するということに何がしかの疑問を感じたことは間違いないだろう。
そんな年に、この日本で「物欲」によって人々を繋ぎ、新たな百科事典となるような
システムを立ち上げたのは、とても面白いことだと思う。
いざという時、体一つで逃げることを日本人は体で感じたはずだ。
だが、物欲が無くなるほど聖人君主な生き方はなかなか出来るものではない。
どうせアホなら踊らなそんそん♪
というわけで、お暇な方は是非!
http://sumally.com/nakayamatatsuya

10.15.2011

Steve Jobs

ある日、なにげなくPCを起動してサファリを開いたら
白バックに年号が入ったSteve Jobsさんの写真が目に飛び込んできた。
弔報までもザ・アップルだった。

写真を撮りたかった人物が、また一人いなくなってしまった。

1999年に、デジタルカメラを使うために,
仕方なくG4とソニーのブラウン管モニター・フォトショップetc.
をなぜか代引きで買う際に、用意した一万円の束を床に撒いてポラロイドを撮ったのが
アップルとの付き合いの始まりだった。

人とテクノロジーを結びつけて、わくわくするような製品を次から次にリリースした
アップルの黄金時代にリアルタイムで楽しめたことはある意味貴重なことだったのかもしれない。

パソコンなんて、、インターネットなんて、、デジタルなんて、、、
などと思っていたが、気が付いたらどれも手放せないものになってしまった。

テクノロジーだけを誇張せず、
人間の感性を信じてこだわって作り上げた企業・製品・ソフトたちは
悔しいほどに我々を楽しませてくれている。
電話で写真を撮って、SNSにアップするなどという一連の行為さえも、
はたから見るとアホなことだが、いざやってみると顔には出さなくてもわくわくしてしまう。

新型iPhone4Sの発売直前に亡くなるというのは、
ほんとうに悔しかったと思う。
世界一の企業を率いて、世界一の金持ちでも癌という病気には勝てなかったというのも
不謹慎かもしれないが、人間の生き方こそを大切に考えた彼の哲学・生き様を
表しているようにも思える。
ただ、あと20年、いやせめてあと10年くらいはiシリーズがどんなものになっていくのか?
見せて欲しかったと心から思う。
御自身の死を意識したのは2度目だっただけに、
アップルという会社のその後や、多岐にわたる準備は相当のものがあったのでは
と想像するのは難しくない。

新型のiPhone4SにはSiriという簡単な人工知能ともいうべき
会話機能がインストールされているらしい。
(現状では日本語には対応していない)
真偽の程は定かではないが、
どうやらそのSiriに彼の人格が反映されているのではないか?という話をWEB上で見つけた。
私が彼の立場だったら、きっとそうするかもしれない。
そしてその後の商品開発においても、自らの魂をなんらかの形で
インストールし続けたいと願うのは、不思議なことではないと思う。

裏技を仕込む事だって可能だろうし、
若者が電話に向かって人生相談をすることもあるだろう。
電話を祭壇に祭る宗教団体だって出現するかもしれない。
人間は果たして、テクノロジーにおける倫理上の問題を解決することができるのか?
人工知能を使いこなす叡智を持ち合わせているのか?
こころから人間のくらしを豊かに楽しいものしようとしたジョブズさんの夢が
間違った方向に進まないことを祈るばかりである。
アップルが人類にとって再び禁断の果実になることは、
なんとしても避けなければならないと思う。

税金を払っている感覚で次から次に新製品を購入することが
どこかで彼の夢を支えているんだということもわかりやすく教えてくれた。

NHKのクローズアップ現代で孫さんも口にしていたが、
iRobotが出るあたりまでは元気にアップルを率いていて欲しかった。
早すぎる。
とにかく早すぎる死は、残念でならない。

敬意と感謝を込めて、合掌。

裏蓋の割れたiPhone4

10.06.2011

拝啓、宇宙人さま

来週の10月11日火曜日に発売される「サンデー毎日」の巻頭グラビア5ページで、
PANORAMANが特集される。
さすがにメジャーな全国誌なら、宇宙人も見て頂けると思うので、
宇宙人の方々に向けて、簡単なメッセージも書かせていただいた。

6月の終わりに皇居東御苑に行ったのは、
向かいにある毎日新聞本社で打ち合わせをするためだった。
このブログ上で公開していたPANORAMANを見て、
巻頭グラビアに掲載したいという連絡を頂いたのである。
さすが日本で始めての週刊誌「サンデー毎日」
お目が高い。

子供の頃、年の離れた兄がいたおかげで実家には、
Whole Earth CatalogやMade in U.S.A.やポパイやブルータスの創刊号etc.が転がっていた。
やくざだらけで道路の舗装もままならない小倉生まれのはなたれ小僧だった私に、
この世界の広がりを教えてくれたのは、まぎれもなくそんな「雑誌」たちだった。
我が家には、ドラえもんはいなかったが、兄の部屋に転がっていた雑誌こそが、
自分にとっての「どこでもドア~」だった。

小学校の時に、小倉から別府あたりまで古い時計を集めるために自転車で走り回り、
場末の時計屋さんで修理上がりを受け取りにこなくて
溜まっている古時計を見せてくださいと言って、
動いてないようなフリをしてタダで貰い受けたり、
高校2年で、校則なんか無視して自動2輪の免許をとったりしたのも、
間違いなく脳みそに突き刺さった雑誌のページのせいである。

カメラマンになったのも、雑誌の中で
ときどき手が止まる写真たちとの出会いがあったせいなのかもしれない。

そんなわけで、あまり大きな声では言わないが
かなり雑誌大好きカメラマンなのである。

そんなカメラマンのネット上の写真を見て、
取引の無かった日本最初の週刊誌「サンデー毎日」が声をかけて頂いた事に、
時代の流れと、不思議な縁を感じた。



新聞テレビでは、報道できないような裏をとったえぐい情報も
週刊誌ではたくさん見ることが出来る。
おまけに「サンデー毎日」にはエロは一切無いので、
お子様達にも見ていただくことが出来る。

何気なくお子様の手に届くところに「PANORAMAN」のページを転がしておいて頂きたい。
こんな普通の週刊誌の、不思議なメッセージを添えた妙な写真たちを見て
今の子供達が何を思い、どう脳みそに入っていそうなのかお聞きしたいと思っている。

脱原発デモ919@R246     by Widelux F8

10.02.2011

藤岡弘、

「中山君、”鏡(かがみ)”から”我(が)”を取ると神(かみ)になるんだよ。
わかるだろう・・・」
藤岡さんの自宅の道場で、鏡を使って撮影しようとした際に言われた言葉である。
鏡を見ると時々、この言葉を思い出してしまう。
いつも、突然なので??となってしまうが、体の中に残ってることが多い。
藤岡弘、さんは時々そんな言葉を投げかけてくれる。


10年ほど前、頻繁に藤岡さんの書籍や取材で撮影をさせていただいた。
刀を使った撮影をお願いすると、
ものすごい気合とともに真剣を振り回してくれる藤岡さんの迫力にはいつも圧倒された。
レンズ前ぎりぎりで日本刀を振り回す藤岡さんに、
刀が手から離れることはないんですか?と尋ねると、
低い声で笑いながら「大丈夫だよ、でも柄から外れることはあるな・・」と言われ、
本物の手裏剣がすごい音を立てて壁に突き刺さり、
次々に細い俵がぶった切られるのを目の当たりにすると、
撮影をしながら、まじで命の危険を感じたものだった。

そして撮影が終わると、藤岡さんのお母さんの素晴らしい日本食の御馳走を頂いたり、
ハリウッドあたりからこっそり遊びに来ていた方々の写真など見せて頂いたりした。
あまり大きな声では言えないが、
柔道家なみに逞しい腕で、巨大な4駆のハンドルにかけた無骨なハンドルロックを外したかと思うと
バックギアでまるで、前進してるように車を運転するのには驚いた。
ひっそりと1300ccの隼が置いてあったり、
自宅の外階段の脇にはさりげなく「マムシ注意」の看板がたっている。
探検もののテレビ番組で、半分冗談のように隊長として写しだされるが、
何度かご一緒すれば、藤岡さんのサバイバル能力が本物であることが、すぐに理解できる。

一番初めに藤岡さんを撮影させて頂いたのは、メンズクラブの取材だった。
せがた三四郎のコマーシャルムービーの撮影におじゃました。
すでに撮影に入っていたために、憧れの仮面ライダー御本人には挨拶も出来ないまま
なるべく現場に迷惑をかけないように600ミリで遠くから狙っていた時のこと、
さすがにCMの撮影現場で巨大なレンズで狙ってるのが目立っていたようで、
CMのスタッフに注意されそうになったら、遠くの立ち位置にいた藤岡さんが、
「彼は、いいんだっ!」と低くて大きな声で、フォローしていただいたのだった。
その後、休憩中に挨拶をしてお礼を言ったら
「君の方から気を感じたからね~~遠慮しないでどんどん撮りなさい」と言われた。
この時は、いきなり不思議なことを言う方だなと思ったが、
遠くから獲物を狙うようにロックオンされていたのを、
確実に視線の外で感じていたんだと思う。

Canon EOS1N  600ミリトライX
自分の足を切ることなく本物の日本刀を振り回し、
本当のサバイバルを熟知している俳優さんはほかにあまりいないだろう。
(実際に本物の重い日本刀を持つと、刀を振り下ろした時に、
足の運びを少しでも誤ると、一発で自分の足を切るだろうとわかる)
アメリカの俳優のユニオンにも加入されている藤岡さんには、
是非、スターウォーズあたりで、日本刀でライトセーバーと戦って欲しかったが
その映画も続編は無くなってしまったようで残念である。

侍としての藤岡さんの言葉は、今の日本人のこころに響く。
藤岡語録
ブログ
仮面ライダーに変身していたスーパーヒーローが、
何十年も経った今も、リアルに日本人としての元気を与えてくれる・・・
こんな素晴らしいことはないと思う。


全国の放射能一覧において、
先日29日~30日の台風上陸の際、
放射能が急上昇していたのを
二日酔いの状態で確認していたが、
なぜかデータが消去されている。
この期に及んで、いったい何を隠そうというのか。。
いったい、いつまでこんなことを繰り返すのか?

9.28.2011

世界の七不思議

子供の頃、たしか小学生高学年くらいだろうか。。
「世界の七不思議」のようなものにとても興味があった記憶がある。
時折、テレビで放送されるUFO特集やピラミッドの謎やネッシーの捜索など
食い入るように眺めたり、図書館に行ってその類の本に夢中になっていた。
近未来的なアニメに夢中だったし、
ブラックジャックの読みすぎで医者になる気にもなっていた。
自分が大人になる頃には、
人類の研究と叡智によって多くの七不思議は解き明かされて、
空中に車が飛び回り、難病も克服されて
それはそれは素晴らしい未来の世界が広がっているんだと、子供ながらに夢見ていた。


ところが、
2001年宇宙の旅の年もあっさりと過ぎ去って、
車の形は多少丸みを帯びたものになったが、
子供の頃に求めていた七不思議の答えは、
ほとんど明らかになっていない事には、ほんとにがっかりする。
いまだにヒマラヤの雪男は見つかっていないようだし、
バミューダ海域は、もう事故が起こらないのか?
ナスカの地上絵だって、ほんとのところいったいなんなのか?
池上彰さんでもきちんと説明してくれないだろう。

ま、その時々のロマンチックな謎かけだよと言われてしまえばそれまでだが、
しょせん人類の叡智なんてものは、
時代時代のコマ切れの自己満足のようなものなのかもしれないとさえ感じてしまう。

フクシマから漏れ続ける放射能を誰も止めることが出来ないようである。
じわじわと忍び寄る健康被害に怯えながらも、多くの人々は普通に生活をしている。
子供の頃に検便・検尿なんてものをやりながら、
こんなもの、、未来ではトイレがすべてやってくれるはずだなどと夢見ていたが
蓋を開けてみたら、水がお尻を洗ってくれるくらいで、ちょっとがっくしである。
やるべきことはわかっているはずなのに、
技術的には方法はわかっているはずなのに、
少しお金が足りなくたってちょっと考えればいくらでもやりようはあるはずなのに、
時間だけがどんどん過ぎていく。
人間って、なんでも出来るような顔して、この地球上でえらそうに群れをなしているが
あまりたいした生き物ではないようである。
まったくもって、この世で一番の不思議は人類そのものであると、最近ようやく気が付いた。

あまりのテレビ番組のつまらなさに、ブログでも書くか、、、とは思ったが、
ぐだぐだの内容になってしまった。

iPhone4 PS Expressアプリ

ダヴィンチだったら、お湯を沸かして発電する為に原子力の火を使っただろうか?

9.23.2011

土屋裕一


芝居をこよなく愛する役者の土屋裕一さんである。
個人の活動に加えて「*pnish*」(パニッシュ)という同世代の4人組のユニットを作っていて、
精力的に舞台活動も展開している。

約2年前、彼が直接電話をくれて、
「達也さん、カレンダー作りたいんで写真とって下さいよ!」
ファンの為に心のこもったカレンダーを作りたいということだった。
自宅で撮影した白バックの写真を月毎に蛇腹折にして、
彼自身の手書きの数字で構成されたカレンダーは、とても好評だったそうである。

上の写真は、それには収められることはなかった私の中でのベストショット。
「なんかこ~~アメリカのど田舎にふらっているような汚れ・・・・・・」
に彼が応えてくれたショットである。

舞台上で役者が、さまざまな人格を身にまとい、縦横無尽に飛び回り、
感情を爆発させているのを見ると、なぜだかめちゃくちゃやきもちを焼いてしまう。
舞台以外では、普通の人間のふりをしているくせに、
いざステージに登場すると「演技」というものに命を捧げて、
毎回毎回、様々なキャラクターに変身してるのを見るのがなぜか悔しいのである。
そんな状況で、我々のイメージをさらにぶち壊すような人格を見せてくれた時に、
その悔しさが倍増する。

こんな「汚れ」な風情を一瞬でかもしだす彼に、実はなかり嫉妬してるのかもしれない。


そんな彼が久しぶりに電話をくれた。
「達也さん、カレンダー、、また撮って下さい!」
一杯やりながら、打ち合わせをという事で、台風が直撃している渋谷の町に
長靴を履き、パーカーを羽織って飛び出した。
酒を飲む演技でもしているようにパカパカとワインを飲む彼のペースに巻き込まれて、
随分飲みすぎてしまった。
おかげで、気が付いたら電話のデザインが変わっていた。


カレンダーのパッケージ案はほぼまとまった。
嫉妬を感じさせてくれる役者を追いかけて写真を撮ることが出来るのは、最高の喜びもである。
さて、どこにいる彼を追っかけるべきか、、楽しい悩み事ができてしまった・・・

9.21.2011

アブラゼミ

9月11日、犬の散歩道の脇でアブラゼミの亡骸を発見した。
iPhone4からFacebookへの写真のアップロードのテストと、
適当にダウンロードしたフォトショップアプリを試すために写真を撮った。



12日、すでにアリ?によって胴体部分が持ち去られていた。
もしかしたら雀あたりの仕業かもしれないが、場所はほとんど移動していなかった。



13日、いったいどんな目的なのかは不明だが、
頭部の辺りを中心にアリ塚のようなものが形成されていた。
すでに頭部が崩壊し始めているように見える。
特殊な唾液等で分解を促進しているのか、土壌の働きによるものなのかは不明。
陽が暮れて暗くなっていたために、iPhoneのストロボが自然発光した。
一瞬、セミの体からエクトプラズムが放出されたと驚いて後ろに倒れそうになった。


14日、あきらかに頭部が崩壊しており、アリ塚の砂の粒が粗くなったように見受けられる。
2,3匹のアリの姿はあるが、彼らがどんなマジックを使っているのかは不明。


15日、世界最強の近所のおばさんの掃除によって、
いつ葬り去られてもおかしくない状況ではるが、着々と分解が進んでいる。
やはり分解が進むにつれ砂の粒子が大きくなっているようだ。
左の羽が無くなっている。比較的、手足の太いパーツが確認できる。


16日、外骨格の硬い部分と羽を残して細かなパーツは無くなったようである。。
アリが、何かを運び出している気配がほとんど感じられないにもかかわらず、
わずかに残っていた手足の筋が無くなっている。
アリが巣に持ち帰ったのだろうか?
砂の粒がなぜか細かく元に戻ったような印象を受けた。
砂マジックが終わったのだろうか?


17日、昨夜の強い雨で何事も無かったように、彼のエヴィデンスは消滅した。
まるで低い声で「俺のことは、忘れてくれ」と言わんばかりに・・・・



小学校のラジオ体操で、寝ぼけながら無意識に見つけてしまうセミの抜け殻のせいで、
おそらく男子の脳内には、セミの死生観と孤独なロマンが植えつけられているはずである。
何年も地中で孤独に暮らして、最後の夏に地上に這い上がり
大声で叫び、空を舞う。
そして最後に交尾をして恍惚の「ジジッ・・」
人知れず虫けらとして死んでいく彼らに、一度インタビューをしてみたい。
そして彼らがセミ同士でいったいどんな文化?
を共有しているのか聞いてみたいと願う夏の終わりである。

9.19.2011

「さようなら原発集会」9.19

5万人が集まるかもしれない脱原発集会が東京の明治公園で行われた。
今の政治と報道では何も前に進まない。
何か出来ることは無いのか?という思いで参加した。
もちろんパノラマン用のカメラも持参した。

一時間前に会場に到着すると、
既に全国から集まった人々が掲げる県名や団体名が記された旗が、
まるで戦国時代の軍旗のように林立していて鳥肌がたった。

続々と大型バスに乗って、地方からの参加者が流れ込んでくる。



発起人達がテレビでは言えない言葉を叫ぶ。

Eos 600ミリレフレックス

暑さのせいか、老女が顔を蒼白にして草むらに倒れこむ
まわりのみんなが、脱原発のうちわで彼女に風をおくり救急隊員を呼ぶ。

混雑の為に遅れてきた役者が力強く脱原発を叫ぶ。



日本語に同時通訳されるドイツの方の言葉が、胸に滲みた。

大人しそうな年配の女性達も思い思いに脱原発を訴えている。

iPhone4

会場に集まった6万人の山がゆっくりと動いた。



警察の誘導により、行列は十戒のごとく246の交差点を赤信号で渡っていく。

Eos 600ミリレフレックス

iPhone4
Eos 600ミリレフレックス
若者の「意味わかんねぇし~~」が2度、耳に入った。

iPhone4

ずっと叫び続ける若い女性が掲げる団扇にはった紙を見て目頭が熱くなった。

iPhone4

カネと命とどっちが大事なのか?
政治も報道も、そろそろ本当の仕事をしなければ取り返しがつかなくなる。
日本は今、非常に重要な時期を迎えていると思う。
ドイツではSiemensが完全撤退を決めたようだ。
この6万人のデモが何かのきっかけになるように祈るばかりである。


同業者に教えて貰ったビデオ。
夜中にとてもくやしい思いをした。
「俺達はいままで何をやっていたんだ・・・」

9.15.2011

釜石

先月のお盆の直後、釜石に行った。
雑誌Numberの指令は、釜石シーウェィブスの面々と奇跡の大漁旗の集合写真である。
被災地の実景もあったほうがいいということで、
地元の方の案内で大槌町のほうまで足を伸ばすことが出来た。
編集部の許可もいただいたので被災地の写真を掲載する。

往路は新幹線で新花巻で在来線の釜石線に乗り換え。
森山大道さんの東野物語にも登場する路線である。
どんな風情か、楽しみにしていたが電車はばりばりの新型だった。
ただ、車窓に切り取られる雄大な東北の山々は緑の美しさもあって大変素晴らしいものだった。
車で行くのもいいが、この電車の眺めを見るためだけに電車に乗るのもありだと思う。

新花巻駅のホームからiPhone
釜石港には巨大なタンカーが打ち上げられ、町全体に津波の凄まじい傷跡が残っていた。
トラックや重機がちらほらと復旧作業にあたっていたが、
半年経ってなお道路以外は惨憺たる状況で、人手不足、停滞する政治、予算不足、
新たな街づくりの計画がまだまだであることをひしひしと感じる。


大槌町方面では、信じられないような内陸まで津波の爪あとが残っていて、
あらためて津波の高さを実感した。

いたることろに海水らしき水溜りが残っていた
こんなところが?と思えるような内地の建物も
2階まで津波にのまれていた
大槌町の役場ごと壊滅的な被害を受けていた。
家のすぐ裏が山なのに根こそぎ流されてしまった家に
置かれた車椅子とお供え物
山の斜面の墓地も津波にのまれて
ほとんどの墓石が倒壊していた
途中、車内で地元の方の携帯電話がぎゅいんぎゅいんといやな音を響かせた。
震度5弱の地震は、車の中ではそれほど感じなかったが、
ハンドルを握る地元の方は、海岸線と平行に走る道路から
すぐさま山に登っていく坂道に向けてハンドルを切った。
直接あの津波を経験された方が、何も言わずに間髪をいれずその行動をとったことが
津波の怖さをストレートに感じさせることとなった。
幸いなことに、大きな津波は来なかったが、高台にある親類の家の庭でしばらく様子をみた。


山の中を走っていたら、鹿が挨拶をしてくれた。
東北とは、食うほど鹿がいる場所でもある。
彼らや東北の神々は、いったいどんな思いで津波を見たのであろうか?


そして、海のちかくの山々のふもとまで大きな船が流されていた。


宿泊したのは、普通の有名なビジネスホテルチェーンだったが、
街ごと2階まで津波にのまれた影響で空調施設が使えなくなっていて、
寝苦しいのを心配していたが、お盆であるにもかかわらず、
少し肌寒いほどで、ぐっすり眠ることができた。

初日は曇りだったこともあり、美しい朝日がでることを祈って朝5時に目覚ましをかけたが、
残念なことに空は濃いグレーだった。
カメラがデジタルになって、いいこともある。
フィルム時代は、想定されるカット用にフィルムを用意してロケに向かうために
フィルムの感度や種類・量もあまり余裕が無いことが多かったが、
デジタルであればフィルムの残数も気にすることなく、
その気にさえなれば、好きなだけ撮る事が可能である。

歩いてすぐのところに巨大なタンカーが打ち上げられていれば、
少し眠くても出かけないわけにはいかなかった。

三脚に35ミリをつけたハッセルHを載せてホテルを出た。
そしてまだ薄暗い商店街ですれ違いざま、犬の散歩をしている老人に
タンカーはどっちに行けばいいか尋ねた。
もちろん方向はわかっているが、こういう時に入手する情報が
案外撮影に役立ったりするのである。
老人は一瞬「?」ときょとんとした後
「あ~~ヤマトけ。。あっちだ~」
ヤマト??軽くお礼をしながら寝ぼけた頭で、
老人も多分、寝ぼけてるんだろうなどと思いながら港に向かった。

道すがら破壊された商店街を覗きながら歩いていると、
食料品店らしき店の中から真っ黒いカラス20羽くらいが
ものすごい羽音を立てながら、ぶつかるんじゃないかと思えるほど目の前を
飛び立っていった。
どうやら、カラス達の格好の餌場になっているようだった。
そのまま入り口に三脚を据えて一枚撮った。


三脚の高さを調整しようとして、足元を見た瞬間すこし固まってしまった。
あきらかに人間が食べた後と思えるような黄色いからしを溶いたたれが入った
プラスチックの小皿が地面に転がっていた。

誰もいない港の魚市場は、満潮で地震により地盤が下がったために浸水していた。
水溜りは浅ければ浅いほど静かな鏡面となる。
一瞬、煙草に火を付けようと思ったが、何があるかわからない状況なので我慢した。


作業の車もいないので、タンカーを正面から狙うことにした。
そびえ立つタンカーを目の前にして、さきほどの老人の言葉の意味がわかった。
宇宙戦艦ヤマトである。
本来の戦艦大和は鼻先は赤かったのかどうかはわからないが、
まぎれもなく、アニメの宇宙戦艦ヤマトを思い起こさせる。
波動砲はついていないこのヤマトももうじき撤去されるようである。


今回のメインミッションである集合写真は、是非誌面にてご覧頂きたい。
汗を感じる写真にしたかったので、ハードな練習の後に無理を言って撮らせて頂いた。
完全に日が落ちる時間帯だったので、バッテリー式のストロボ一台二灯を用意した。
ほんとうはトップライトも入れたいところだったが、
撮影場所を決めて一人でのセッティングだと選手達の体が冷えてしまう。
鉄と魚とラグビーの町・釜石の鉄人達のいい写真を撮ることが出来た。
現場で連発する駄洒落はけっこう痛いが、ベテラン松瀬学さんの文章も素晴らしい。
淡々とした流れゆえに目頭があつくなる。
是非、お一人で静かに読んで頂きたい。

買うべし!
Number787号、本日発売

9.11.2011

911

震災から半年が経った。
そして、原発事故は日本の人々からほんとうに多くのものを奪い去った。

それぞれが、いろんな苦悩を抱え、
政治やマスコミにたいするはがゆい思いが国民の中に膨らみ続けるのとは裏腹に、
政治は肩書きを決めるのに夢中で何をしているかまったく見えてこない。
マスコミは依然として漏れ続ける放射能の恐怖を忘れてしまったかのようである。
まじで国がひっくり返るほどの緊急事態にもかかわらず、
いまだに専門チャンネルで現況をきっちり伝えるようなものが無いのは
いかがなものなのか?

じわじわと降り注ぐ放射能の健康被害も知らんぷりをするつもりなのか?
海外が日本からの輸入を制限しているのも、スルーするつもりなのか?
東京利権会社とも言える東電は会社の組織をも温存したまま、
微々たる賠償金でお茶を濁して、ほんとに電気料金を値上げしてすっとぼけるつもりなのか?

まじで、ドイツだったら国会議事堂と東電本社が燃えるところだ。


来る9月19日、東京の明治公園で
政府に脱原発を迫る集会とパレードが行われるようである。

こんな国家の緊急事態に国民一人一人が選挙以外で、
どう意思表明をしていいのかわからないこと自体もとても悔しいが、
ますは、この集会に参加してみようと思う。

SNSでキーボードを叩いてるだけでは、どうやら何も変わりそうにない。
日本という国の民が、今この時に何が出来たかは、
おそらく歴史の中で、いい意味でも、悪い意味でもとても重要なことになると思う。

敬老の日である。
もちろん日銭を稼ぐのも大事だが、「いざ、鎌倉」な気持ちを思い出し
先人達の「一揆」というものに思いをはせながら、
何か行動をするべき時だと思っている。

集うべし!!
そして、ネットや口コミや持てる手段をフルに使って思いを共有し、
日本の未来を少しでもいいものにしていくきっかけになればと思う。

富士山の見える湖で嬉しそうに船を操る父と母

9.03.2011

ボルト再び・・

ユセイン・ボルトが本当に伝説になるのかどうか、テレビでじっくり楽しませて頂いた。
(新設したブログのタブ「Portfolio」の巻頭にも彼の写真を収めてある)
約束していたにもかかわらず、撮影に靴もメダルも持って来なかった彼が
100メートルで一発失格になった瞬間、私は不謹慎かもしれないが少し嬉しかった。
関係者やご本人には大変失礼だが、何かしでかすと思っていた。

彼の撮影でジャマイカに行った際に、
BBCの撮影で訪れていたジェントルなマイケルジョンソンや、
静かに落ち着いてマスコミの相手をする同僚のパウエル選手を間近で見て思ったのは、
彼がまだまだ、その実力を100%コントロールする術をものに出来ていないのでは?
と感じたことがあったからかもしれない。
もちろん単純に早く走るには、そんなことはどうでもいいが、
その体を競技においてコントロールするのは精神であり心であると思っている。

今回、彼は200メートルでゴールドメダリストにはなったが、
自らの記録を更新することは無かった。


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他人が語るのはばかられるが、
これからのロンドンオリンピックに向かう日々こそが、
彼がレジェンドになるための修行となったようだ。

スタジアムでジャマイカ国旗を振りながら応援していたクールな
彼の親父さんが今回のフライングに関してなんて言うか、
インタビューをしたいくらいである。


日頃の鍛錬の結果を、ここ一番で集中して発揮させる個人スポーツは
人物写真的な目線で見ても、とても面白い。
走高跳びのスタートから跳躍までの間に、人間のあらゆる表情が見てとれる。
深呼吸をして、まっすぐにバーを見つめる。
選手達のこの顔を撮影するだけでも、十分に素晴らしいポートレート集が出来上がる。
そして、クリアーしたときの雄叫びは、普通では再現できないほど動物的ですらある。
つい決定的なスポーツドキュメンタリー写真ばかりを欲張ってしまいそうだが、
実は世界の選手が集まる競技会こそ、人類の顔の写真を撮るのに
最高の現場だと思っている。


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いまから、来年のロンドンオリンピックがとても楽しみである。

8.27.2011

室伏 広治

最高に美しい体を持った人間達が
世界中から集まる楽しいお祭り「世界陸上」が始まった。

たった今、室伏広治さんが予選突破の投擲をした。

彼とは2度、お会いしている。
一度は2001年の月刊現代のグラビア貌シリーズの撮影だった。
何かの大会にあわせて取材に伺ったが、
カメラの前に座っていただくことが出来ないということで、
望遠レンズで扉のページを撮影した。
じつは、この時が40ヶ月に及ぶこの連載の最終回だった。
40人目にして、初めて特写(カメラの前に来ていただいて撮影する)が出来なかった。
もちろん競技会なので神経質になってることは想像できるし、
余計な負担をかけてしまう可能性もあることは重々承知しているので、
400ミリレンズで遠くからシャッターを押しながら、悔しい思いをしたのを憶えている。

これは、まったくの私見だが、
この頃、彼は少しマスコミを遠ざけていたようなところあった。
カメラがあると、少し気難しそうに、避けていると感じられた。
なぜ、そう思ったのかというと、それ以前に一度彼にあったことがあったからかもしれない。


たしか、2001年からさかのぼること3,4年だったと思う。
ある陸上大会で、女性ランナーの取材をした地方の競技場の帰りだった。
当時はまだ、がらがらと転がすカメラバックはあまりメジャーではなくて
タムラックの大きなショルダーバックにヨンニッパ(400ミリ2.8)のレンズを抱えて、
駅と競技場を結ぶシャトルバスかなにかの停留所のベンチに座っていた時だった。
そこに、まだ体はそんなに太くはなかったが、
堀の深い見るからにハーフの顔立ちの、筋骨たくましい若者が歩いてきて隣に座った。
彼が室伏広治であることはすぐに理解した。
当時はまだ、ずば抜けた成績は残していなかったが、
父親との二人三脚で日本のハンマー投げの歴史を変えるかもしれない
男であることも知っていた。

いつもなら「かっこいいすね~」と軽くジャブで話しかけるところだが、
将来どこかでお世話になることもあるかもしれないので、軽く会釈だけして黙っていた。
サラブレッドとしての誇りもあるだろうし、苦悩もあるだろう。
あきらかにマスコミである大きなカメラバックをもった私に、
話しけかられるのも気持ちのいいものではないだろうと思ってのことだったかもしれない。

「カメラ、重そうですね~ほんと大変ですよね、、カメラマンの方も・・」
いきなり、半分外人の顔をしたターミネーターの100万倍ハンサムな男が話しかけてきた。
しかもかなりフランクに、こっちのお株を奪うようなお気軽さで、である。
「ハンマーよりはましですよ・・・」
なぜか、拍子抜けするように気軽に言葉を交わしたのを憶えている。

彼はいい男である。
たったこれだけの数分の会話だったが、
彼が取材嫌いだろうが、撮影を嫌がろうがそんなことは関係ない。

今、テレビで見る彼の顔は、とてもいい。
最高に撮りたい感じである。
てぐすねひいて待ち構えている業界のキャスティングに翻弄されないで
武骨に優しいおとこの顔であり続けてほしいと思う。

韓国で血管がぶちきれるくらいおもいっきりハンマーを投げられるように
影ながら応援している。

Canon EOS1N 400mm トライX
さて、そろそろボルト登場・・・

8.21.2011

小倉日記

企救(きく)中学校の同窓生を撮影する為に
8月12、13、14、15日と生まれ故郷の小倉に行った。

春の撮影は、昼間は学校、夜は元番長の経営する居酒屋で行ったが、
今回は、地元の連中と里帰り組みを同時に狙うために、
同期の女性が経営するスナックでフルタイム2日間、
みんなで飲みながら待機するという作戦だった。

小倉に向かう3日前に親父から小倉に住む叔父が亡くなった知らせが届いた。
小倉で新幹線を降りると、同期の女性が車で迎えに来てくれて、
そのまま線香を上げに行った。
東京に住むようになってすっかり疎遠になっていた叔父さんの家族に会うことが出来た。
仕事で小倉に行っても、なかなか会いに行けなかった不義理な私を
いとこ達と再会させてくれた叔父さんの遺影にゆっくり挨拶をした。

30年以上も会っていなかった同期のいとこに再会したら、
涙のひとつも出るかもしれないと覚悟を決めていたが、
驚くことにお互いの顔を見た瞬間、ばりばりの喪中にもかかわらず
二人で大笑いしてしまった。


それから撮影会場となるスナックへ向かいストロボのセッティングをして、
昼間のうちから手伝いに集まってくれた人たちの写真を撮りながら、
夜が来るのを待ちきれず、飲み始めた。

日が暮れて、5メートル程のカウンターが埋まるのにはそれほど時間がかからなかった。
店の入り口の引き戸ががらがらと開かれて、みんなの視線が注がれる度に、
それぞれの神経細胞が過去の脳内データを検索する刹那が繰り返される。
名前がすぐに出てくることもあれば、
まったく誰だかわからない経年変化をしてしまった人もいる。
相手がだれか思い出せなければ「お前、だれちゃ?」と平気で聞く始末。
カウンターには座りきれれないので、みんな遠慮なくカウンターの内側に入って、
手が空いているものがお酒を用意して乾杯の連続である。

小倉弁では久しぶりに会った男同士で、
まるで、からんで、喧嘩でもしているような挨拶が繰り広げられる。
「お前、なんしょんすかっ!」
>訳:あなたは、最近何をしていますか?調子はどうですか?

30年間、硬く凍っていたみんなの記憶が一瞬で解凍されて
湯気のようにそのエネルギーが立ち昇り、
カラオケを歌うもの、女性の手を握って離さないもの、
親達の不思議な行動を目をきょろきょろさせて観察している子供達が、
不思議な塊となって小倉の夜は更けていった。

2日目の朝、ほとんど寝ていないところを電話で起こされた。
金髪のショートモヒカンの友人からだった。
博多から駆けつけてくれた女子をピックアップして
ホテルまで迎えにきてくれるとのことだった。
すぐさまホテルの前にランニングを着た、
逞しい体の友人が可愛い軽自動車で迎えに来てくれた。
車とドライバーのミスマッチもすごいが、
子供が3人いるという二人の女性が金髪モヒカンの車の後ろに小さく座ってるのが
なんとも可笑しくて、さすが小倉である。
だいたい見た目がおっかない奴ほど、実はいい奴だったりするのが小倉なのである。
スナックでの撮影は13時からにしてあるので、なにか食べようということになり、
彼は行きつけのうどん屋に連れて行ってくれるという。
車はどんどん市街地を遠ざかり、細い路地を住宅街に向かった。
「よもぎ肉うどん」をご馳走になった。
自分がほんとうによく行っている普通~の(ちょい汚い)店に平気で連れて行く感じが、
なんだかとても嬉しかった。
(漁師が、再会した友人に船の生簀から烏賊を取り上げて目の前で絞めて、
烏賊の体がスーッと色が変わるのを見届けてから手渡してくれるような・・・
ぶっきらぼうでも、素朴でも、そんなもてなしが普通に行われるような関係が
大好きである。)

スナックに向かう車中で、ショートモヒカンの怖いおっさんと、
お子様が3人いる綺麗な奥様がなんだかとても低いトーンで
打ち解けた会話をしているのに違和感を覚えていたが
後から聞くと、二人は中学当時に出来ていたいたらしく。。
今回のこの撮影・同窓会企画はいろんなところで
時空を超えていたようで、、東京に戻ってから彼に電話をしながら、鼻で笑ってしまった。

13時すぎにスナックに着くとオーナーの女子が来ない。
店の前にモヒカンとロンゲのおっさん二人で30分ほど座り込んで待っても音沙汰なし。
入り口のシャッターは2枚あるが、いつも開けてるほうは鍵がかかっていた。
みんなで電話するが一向に出る気配はなし。
モヒカンの彼が痺れをきらしていつもは絞めっぱなしの開かずのシャッターを持ち上げたら、
あっけなくがらがらと上がっていった。
しかも店の引き戸は鍵がかかっておらず、そのまま入り込むことが出来た。
ストロボのチェックをしてるところにオーナーの女子から電話が入った。
「ごめん~朝10時まで飲んだんよ~声が出んけん電話でんかったんよ・・
お店開いてたやろ?いつも開けちょるけん」
そんなん知るか・・・言っとけよ・・である。
ま、小倉とはそういうところである。

2日目は先生達もいらした。
国語の女性の先生は当時の私のマドンナであり、
我が人生で始めてタイトスカートの魅力を教えてくれた方である。
当然、スカートの中を覗く作戦はみんなで練っていた。
今では校長先生になられた社会の先生が帰り際に
別の者が選曲した「アイラブユー」のマイクを奪い、歌った。
大学を卒業してすぐさま送り込まれた恐怖の不良中学で、
元気に先生デビューを果たした初々しかったその先生もずいぶん歳をとってしまった。

マドンナ先生に書いて頂いた文字
Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 120mm
この時に、気づいたのだが、小倉弁には尊敬語とか丁寧語が存在せず、
相手が元先生であっても同じ「なんしょんすか」言葉が使われていた。
英語のようでもあるが・・・やはりひどい言葉だ。

中でも嬉しかったのは、2年時に転校していて
仲が良かったにもかかわらず、まったくアルバム等での捜索にひっかからなかった
男友達がやくざのような迫力で夜遅くに登場してくれたことだった。
アルバムにも載っていない完全に脳の中だけの記憶なのに、
顔を見た瞬間、抱きつきたくなるほど興奮した。
途中で転校してしまった彼と再会できて、
写真をこの手で撮れたことは、ほんとうに嬉しかった。

そんなわけで当然飲み会は朝まで続き、
2日間にわたって飲みながらみんなのポートレートを撮影した。
気が付いたら一人で機材を片付けて無事ホテルに戻り、
カーテンの縁から染み込んでくる朝日を見ながら眠りについた。

1時間も寝ないうちにテレビドラマ「24」の主人公の電話の着信音がなった。
このときばかりは、ジャックバウアーになった気分で電話に出た。
迎えに車を出してくれた女性からで、
実はこの日に彼女の家で半分仕事の撮影をすることになっていた。
「疲れたでしょ~うちのお母さんが美味しい朝ごはん作ってるから食べにおいでよ」
「ちょ、、、、、、(殺す気か)」
酒も残っていて、2日間で3時間も寝ていないこともあり、
死ぬほど寝ていたかったが、湯気のあがる味噌汁のイメージが一瞬浮かんでしまった。
ジャックバウアーだってそう簡単に死なずに国を守ってるんだから、
俺だって味噌汁くらい飲めるだろうと意味不明な気合でシャワーを浴びた。

おばあちゃん・母親・長女・長男・次女の
家族団欒の素晴らしい湯気のあがる味噌汁朝食のおかげで再起動した。
子供達の顔がぴかぴかに輝いていた。
東京のカメラマンのおっさんとしては一泊の恩義に報いるためにも
写真くらい撮ってあげなければならない。
仕事そっちのけで、子供達の顔に夢中になってしまった。
めちゃくちゃ美しかった。おっさんの顔が大好物でいままでやってきたが、
子供の顔もたくさん撮っていつかまとめてみたい。

Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 80mm

自宅の一階でエステサロンを経営している彼女が翌日、
そんな顔じゃ、東京に帰せないということで、造顔リンパマッサージをしてくれた。
同窓生と2日間酒を酌み交わし、睡眠時間を削りながら過ごしたせいで、
まるで玉手箱を開けてしまったように、顔はくすみ、目の下には深くクマが出来て、
いつも若いと言われていたはずの自分の顔が疲れ果てて、
歳相応になったような気がしていた。
真っ白な霧に包まれたミストサウナに15分ほど入って、
ぼとぼとと汗を吹き出してから、リンパをしごくように顔を中心にマッサージを受けた。
1時間ほどして施術が終わり、鏡を見て驚いた。
肌がピカピカになって、顔のラインがシャープになっていた。
話を聞くと、どうやら郷ひろみさんあたりもひんぱんに同じようなことをやってるらしい。
エステ、恐るべし・・・

若返った後に、小倉でのギャラリーの下見で門司のブリックホールに向かう途中、
目の前に北九州の工業地帯が広がった。
幼少の頃にあの煙のせいで光化学スモッグが発生していた。
それとは裏腹に好景気を生み出し、子供ながらにラジカセを買ってもらったり、
家族で別府に温泉旅行にも行かせてもらった。
円高地獄の黒雲に覆われた工場の煙突からでる煙がなんとも虫の息のようで
すこし寂しくなったので、車を降りて道路を駆け上りiPhoneで写真を撮った。

iPhone4

なぜか自分の中では小倉のアクセスには飛行機はない。
大学入学で上京するときに母親から新幹線に乗る際に渡された
3万円の記憶を忘れない為なのか。。。
エアーで一人では間違いなく重量オーバーの超過料金を取られるせいなのか。。。
お盆の帰省ラッシュということで、神のお告げによりグリーン席になり、
携帯とパソコンを手元のコンセントに挿して、
モニターに映る女子達に硬い光をあてたことを謝りながら帰路についた。
時折、携帯メールに同級生達からメールが届く。
電話をくれる男もいる。


みんなからは消息不明といわれるほど、生まれ故郷を省みていなかった自分にさえ、
一瞬で打ち解けあい、しがらみもなく、何かあったらすぐさま駆けつけてくれる旧友達が
同じ時代を元気に生きてることがとても嬉しかった。
もちろん、長生きすれば、表ざたにすることも出来ないような
いろんな人生の闇を抱えている人だっているが、
人生の残り半分は各自のオリジンを深いところで共有している小倉の友同士、
時々、顔を会わせるのもいいなと、しみじみ感じた。

みんな、ありがとう。

さて、次は小倉に行けなかった関東組みの撮影である。
夏が終わる前に召集をかける予定。

8.17.2011

立川 裕大

数年前に、雑誌BRUTUSの企画で
陶器の名産地・波佐見を立て続けに3度取材に行った。
現代にあっても、人里からはなれて隔絶されたような、
煙突の立ち並ぶ波佐見の町をとても気に入ってしまった。

そのスタッフの中にとても特徴のある顔立ちをされた、
不思議な魅力のあるデザインディレクターがいらっしゃった。
彼の名は立川 裕大さん。
現在もいくつかのプロジェクトを推進されている。
・文化と社会と経済を紡ぐコンサルと企画
http://tckw.jp/

・革新性を探求する伝統技術
http://ubushina.com/

・「売る」「買う」を通じた復興支援
http://www.fplusproject.org/

デザイン関係のプロジェクトを、ぐいぐい前に進める方であり、
勝手な言い方をさせていただくと、
デザインと伝統的手仕事と社会を繋ぐ坂本龍馬だと思っている。

何度もロケでご一緒して、打ち上げ等で酒を酌み交わすうちに、
とても親しくさせていただくようになり、
先日、波佐見の製造業者の方が上京されて飲んだ際に、
いつ見ても不思議な顔を、是非撮らせて欲しいとお願いした。

とある日曜日、立川さんは息子さんを連れて我が家に来てくれた。
ほんとは、体を地中に埋めて、顔だけ出してイースター島のモアイ像にしたかったのだが、
お子様の前でそんな仁義なきことをするわけにもいかず、
シンプルに撮影させて頂いた。

撮影を頼んだ飲み会の時にも、
皆さんがどうしても写真が見たいとおっしゃっていたので、世界デビューして頂く事にした。
ハッセルブラッドの情報HPに、ユーザーの写真を掲示するページがあり、
一人月一枚応募できるようになっている。

是非、世界デビューを果たした立川さんの雄姿をご覧頂きたい。
お茶を吹かないように、ご注意を


せっかくなのでヌードも一枚
Hasselblad H3DⅡ-39 ISO50 80mm
追伸
「立川さん、今度は埋めるぜよ」

8.10.2011

『東北』田附勝写真集

原爆の日、皆は祈りを捧げただろうか?
震災と原発事故で世界は日本のために祈りを捧げてくれた。
日本は、中国の列車事故に祈りを捧げただろうか?
ノルウェーのテロに対して、祈りを捧げただろうか?

自然を畏れ、敬いながら、何かに祈りを捧げるということを
我々日本人は忘れかけているような気がしている。


スタジオフォボスという空間で同じ釜のストロボの光を受けていた
同士・田附勝が、2冊目の写真集を完成させた。

5年間に及ぶ荒行ともいえるストロボ一発のフィールドワーク=「祈り」が、
山の神と、海の神と、彼の写真の神を召喚している。

かつての戦友が、こんなにも祈りを捧げていたことが、悔しくもあり、羨ましくもある。


多くの神が眠っている東北は、放射能に汚染されてしまった。
我々日本人は、今一度「祈る」ということを思い出さなければいけないと思う。
祈り続けるということが、人間本来の生きるエネルギーを生み出すと信じている。

彼の写真集を宣伝するわけではないが、
日本に生きること、そして祈ることを再認識するきっかけになると思う。

血なまぐさいものも登場するが、本来生きるとはそういうことである。
子供達にも是非見て欲しい一冊である。

買うべし!
amazon
iPhone4

8.06.2011

8月6日「原爆の日」

セシウムビーフ?セシウム茶?
原発事故直後に騒いでいたヨウ素なんかそっちのけの大騒ぎ?
汚染されているのがビーフだけなわけがないのは、子供だってわかる。
一部の食材のみを取り上げて、目くらまし??

こんな状況が続くと、日本全国汚染食料だらけになってしまう。

未だに、汚染予報も汚染食料のデータも一般の人々に届くように報道されない状況で
将来的に、この国は大丈夫か?

8月6日の原爆の日をこんな状況で迎えてしまった悔しさを、
忘れてはならないと思う。


今日、とある先輩との話を通じて、
各人が、明るい未来に向かって、自分の信じる道を進むこと、
そして、後悔しない生き方をすることが、今もっとも大切なことだと強く思った。

撮りたいものに貪欲に真っ直ぐに向かっていくことが大事なことは
体が知っているはずなのに、妙な仕事癖が付いてしまったせいで、
すっかりそのことを忘れていた。


まずは中学同窓生の撮影・企救中(キクチュウ:企救中学校)第2弾!
同期の皆さん、
お会いできるのを、楽しみにしています!!

@神宮花火大会
Sigma DP2 ガードレール三脚

8.05.2011

竹中直人

1995年、雑誌VIEWSの「カリスマは語る」という連載グラビアで
竹中直人さんの写真を撮らせて頂いた。
8ページの構成なので、スタジオの外でも撮ることが多かったが、
竹中さんの時は、スタジオで全てやらせて欲しいと編集の小柳津さんにお願いした。
大河ドラマの豊臣秀吉役にキャスティングが決まったばかりの竹中さんの迫力に、
直球でシンプルに、時間を気にせずに向き合いたかった。

男性の顔を撮ることが好きになったきっかけの撮影だったかもしれない。
体の表面では汗を吹き出しながら、
全頁スタジオ撮影にしてもらった事もあって、
頭の中では、冷静に構成を考えることを学んだ撮影でもあった。

白バックで撮影しようとして、竹中さんが立ち位置に入りながら頭をなでているのを見て、
シルエットだけで十分ページになる!と判断して、
スタジオマンに「バック飛ばしだけでっ!」と叫んですぐさまシャッターを押した。

Mamiya RZ67 トライX プラス1 
プリント合成

寄り・引き・グレーバック・白バック・低速シャッターによるぶれ、を切り替えながら
約30分ほどで白ホリでの撮影を終えた。
この時に、時間の限られたカット数のあるバリエーション撮影というものは、
被写体に向き合わないで、机上の打ち合わせだけでは
構成するべきものではないのかもしれないということも感じた。

顔の寄りの時に、竹中さんがスッと顔の前で手を組んだ。
タレントさんの顔がこれだけ隠れていれば、普通はボツかもしれない。
これだけ顔を隠したラフは想定もしないだろう。

Mamiya RZ67 トライX プラス1
デジタル撮影が全盛になって、
撮影するカットごとにモニターに映し出される現場も少なくはないだろう。
想定したラフとモニターを見比べて写真の細かいことだけに目がいってしまって、
現場で奇跡の一瞬にしか現れない現実を見逃すことなく、
そういうポイントを大事に攻めることこそが、
より写真的な写真を撮るために大切なことだと思っている。

翌年の竹中直人さんの野趣あふれる素晴らしい豊臣秀吉の仕事を見て以来、
大河ドラマを毎年かかさず見るようになった。

8.04.2011

浅草サンバカーニバル

モノクロフィルムをローライに詰めて、
久しぶりにサンバカーニバルに出かけようと思っていたら、
震災の影響で、今年の浅草サンバカーニバルは無くなってしまったようである。

普段ではあり得ない衣装でパレードを行う人々の、
妙なエネルギーを感じられることと、
いたるところで通行規制がひかれていて、
標準レンズで人のアップの面白い写真を狙うための
写真的な勘を鍛えるにはちょうどいい「お祭り」だと思っている。

昨年の夏の終わりに撮影させて頂いた
2011年アサヒビールイメージガールの春輝さんも
スポンサーの枠で出場されるはずだったので、
こっそり会いに行きたかった事もあって、、とても残念である。

@浅草サンバカーニバル1993
 Rolleiflex2.8GX トライX
その代わりになるかどうかはわからないが、
未経験の幕張あたりのコスプレイベントにでも
出かけてみようかと思っている。

@浅草サンバカーニバル1993
Rolleiflex2.8GX トライX