1.13.2011

写真はどうなる?

久しぶりなスタジオフォボスの後輩からメールが来た。
しこたま飲んだ翌日の撮影で、
スタジオマンとして入っているにもかかわらず、
気分が悪いのでトイレ行ってきますと言って
そのまま急性アルコール中毒で入院してしまった強者の昭紀からである。

「今後、写真はどうなっていくんでしょうね?」
今、私個人が思ってることを書いてみることにする。
極端な言い方をすれば「多分、何も変わらない」である。

おそらく現状の写真をとりまくビジネス環境が、
紙媒体の衰退と、デジタルへの移行と、
この不況がぴったし重なったために、
一見すると写真そのものがだめになるような
錯覚を感じるかもしれないが、
実は「写真」自体は何も変わっていない。
ネット上でも、よくあ〜だこ〜だ言ってるページがあるが
結局のところ、使うカメラや流通経路や、
撮影の仕方が少し変わっただけである、
ついでに盛り込まれた動画機能などで
盛り上がってる方も大勢いらっしゃるが、
「写真」はどっかりと腰を据えたまま、
写真の神様は間違いなく以前とかわらずどこかにいる、と思っている。

感材の製造打ち切りはショックだが、
それをぐだぐだ言っても仕方ない。
カメラというものが無ければ 写真は撮れない以上、
写真家にしろ商業フォトグラファーにしろ、
現状手に入るものを使うか自作する以外にないのである。
もちろん印画紙や紙媒体の衰退は、
写真の見せ方に影響はあることは間違いないが、
それが「写真」という文化をだめにすることにはならないと思っている。

実は私も始めはデジタルは毛嫌いしていたところがあった。
それでも普通に使ううちに便利なものは便利だし、
Sigmaのフォビオンセンサーもなかなかいいし、
デジタルバックのデータも馬鹿にできるものではないし、
写真を撮る道具として、確固たる選択肢の一つになってしまった。
それどころか、何度も仕事でレンタルで使っていた
デジタルバックのデータとにらめっこするうちに
バイテンの手持ちに匹敵する?!などと、
錯覚してハッセルのHを買ってしまうありさまである。
いままではフィルムの粒子に何とも言えない愛着を感じていたが、
デジタルの癖の無い上品なピクセルを見るうちに、
す〜〜っと違和感が無くなったのである。
モアレ、シャギー、トーンジャンプ、フリンジ、低感度などなど、
デジタルの弱点はあるが、
それはフィルム時代だっていろんな癖はあったわけで
うまく付き合っていけばいいだけの話である。

ただ一番大事な、それが好きか嫌いか?については。。
もう個人の「勝手にしやがれ」でしかない。

「写真」の力は今後も変わることはないと思う。
「写真の神様」が
降りてくるかどうか。。
降りるまで待つか。。
降りてこさせるか。。だと思っている。


ロスからヨセミテに向かう国道に
ぽつんと立ってたfor saleの看板に釣られて行ってみたら、、
長い時間をかけて出来たであろう轍に囲まれた古い車が、
信じられないような同じ色の空を背景にして輝いていた。

 Hasselblad 100mm Kodak160ネガ スープラペーパー