4.20.2011

大江健三郎

1999年7月、大江健三郎さんの写真を撮らせて頂くために、
八重洲ブックセンターで行われた「宙返り」発売サイン会にお邪魔した。
月刊現代の「貌」シリーズの連載である。

さすがノーベル文学賞作家ともなると、サインを求める方に外人が多かった。
大江さんのせいにするのは大変失礼な話だが、
大江さんが外人の方とお話している英語が、
見事なジャパニーズイングリッシュだったのがとても印象的で、
ペンでノーベル賞を貰った方がこれでいってるなら、
カメラを持ってる私も、別に流暢な英語をしゃべる必要はないと勝手に決めてしまった。

カメラの前の大江さんは、一見気難しそうに見えるのとは裏腹に
とてもフランクで優しさが滲みでているすてきなおじさんだった。
「先月の大野晋さんは、君が撮ったんですか?」
「はいっ」
「大野さんのあの笑顔が撮れるなんて大したもんだ。
私だってあんな笑顔あまりみたことないよ。。」
いきなり突っ込まれながらストロボを調整していると、、
「君、キムタクに似ているね~~」
「??ま、まじすか(どこがやねん)」
もちろんちょっと嬉しかったりするのは内緒である。
作家とは自分勝手にあらゆる事象を観察して、
自分勝手に表現する生き物だと思うが、
その作家の番長ともいえるノーベル賞作家に
キムタクに似てるといわれたおかげで、
編集の吉田さんが、
折りあるごとにキムタクに似てるカメラマンだと他所で紹介してくれる・・・
ノーベル賞作家の一言はきちんと受けとめなければいけないのである。

モノクロのフィルムが終わりにさしかかると、
「大江さん、黒いシャツいいすね~」と軽くジャブ・・
「あ~これ、、かみさんが、これ着ていけってね、、あ、下着のシャツ見えてない?
ちゃんと、見えないように気をつけろって注意されてね~」
「大丈夫です(サイン会の時はずっと見えてましたが・・・)」
そして最後の2枚になったところで、
「大江さん、鼻毛でてます」
「あはははは・・・」
大体、先生と名のつく方は鼻毛は標準装備である。
男子の顔はヌードと思って撮っているので、ヘアーヌード一丁あがりなのである。

作家の方を撮らせていただく際には、普段はサインを求めるということはしないが、
実はサイン会の際にスナップしながら、
以前から読もうと思っていた「ヒロシマ・ノート」をこっそり買い求めていた。
撮影が終わってから、大江さんにサインをお願いしたら
万年筆とハンコを取り出して丁寧に書いて下さった。
「中山達也様、一九九九 七 写真を撮ってくれた日 大江健三郎」
日って書いてるのに日にちが書いてないのはなんでだろ?だが、
本棚にいつも眠っている宝物である。

大江さんが今回の原発に関してニューヨーカーに寄稿されていた。

HISTORY REPEATS

和訳された方のページ発見


戦争・戦後、そして原発事故まで生きてこられた日本人作家としての寄稿は、
個人それぞれがきちんとやるべきことをやるのだ、と強く示してくれているようで
とても心強い。日本人の本懐を英語のオリジナルで残すところもすてきんぐである。

「最後の小説」などとおっしゃらずに、、、
大江先生のペンによる「福島ノート」を読んでみたいと思う。


紙面には、大野晋さんよりも見慣れない笑顔の鼻毛写真を使わせて頂いた。

Hasselblad 150ミリ トライX