5.21.2011

ずっと好きだった

斉藤和義さんのご自身による替え歌「ずっとウソだった」が、随分話題になっていた。
お子様が生まれたばかりの斉藤さんの魂は、多くの国民に届いたと思う。

ただ、、、私自身は、オリジナルの「ずっと好きだった」のほうがこの時期、強く胸に突き刺さる。



平和ボケしたまま、のほほんと暮らしてきてしまったが
生まれ育ったこの国は、何物にも変えがたく、
初恋のように、ずっとずっと好きだったぜなどとシャウトしなくとも、
心の奥底には、この国を愛する気持ちが確実にあったように思う。

いろんな事情はあるだろうが、
バッジや利権を脱ぎ捨ててでも、大切にしなければいけないことがあるはずなのに、
この国はあいかわらずどこを向いているのかさえわからない。

どう考えても避難させるべき人々を放射能にさらし続けたまま、
グリーンピースという第3者の海洋汚染調査さえ断った
疑心暗鬼なまま、日本人に魚を食べさせるつもりなのか・・
ビルの屋上で計る・・
魚の骨と内蔵を除いて計る・・
土の表面だけじゃなくて掘り返して計る・・
そろそろ、、国民なめんなよ。
パニックを避けるなどという名目の後出しジャンケンな事後報告のオンパレード。
ホールボディカウンターで、至急国民のデータをとって、晩発生の健康被害に対処するどころか
いまだにさまざまな情報を公表もせず、違う話題を出しては、すっとぼける政府。

世界各国が送ってくれた線量計すら成田に放置したままである。
世界基準を大幅に超える暫定数値に基づいた水・食物のせいで
じわじわと内部に放射能が溜まり、すでに関東圏でも母乳から放射能が検出されている。
原産地表示は避けるようにというお上の通達にいたっては絶句である。
風評被害こそ、政府がもたらしたものであることを認識していただきたい。

「今は申し訳ないが国の方でデータを管理、避難指示したい。
ある時期が来たら公表し自主判断に任せたい。」
(あとで言うから好きにして?酔っ払いのおっさんでもなかなか言わない)
原発担当の内閣総理大臣補佐官がこんなことを口にするような国を、
いままで俺は好きだったのか?
この国において学校や会社が正常に動く限り、人々が自主判断で個々に行動するのは
非常に難しいことである。
戦前の大日本帝国でさえ、子供を集団疎開させていた歴史があるというのに。。。
悔しくて涙がちょちょぎれる。
いろんな部分でお金が足りなくなることもあるかもしれない。
ただ将来的に、お金のやりくりをすることと、健康で平和に暮らすことは、
決して比べるようなことではないと思う。

素人目にも、かなり危うい状況であるメルトダウンを
ほんとうにこの国は、乗り越えられるのだろうか・・・


高校生まで暮らした実家の2階の窓から眺め続けた足立山、
つくしを採り、ススキをたばねてチャンバラをした線路脇。
ぎらぎら光る線路の摺り減ったはがねと、油にしみて黒光りする枕木。
警報機がなると慌てて逃げながら、
黒煙を吐き汽笛をならして小さくなる蒸気機関車を見送った。
轢かれた犬達を線路脇に埋めていた日田彦山線。
この景色から逃げたくて、上京した。
ほんとうは、いい加減に写真に撮るつもりはなかったが、
仕事で小倉を訪れた際にふらりと立ち寄って、不覚にも横目で一枚押してしまった。
ずっと好きだったのかもしれない、、、しょっぱい写真になった。


暴走する放射能の火をこの国が収めることが出来るかどうかはわからない。
それでも、、、日本人それぞれが、最期に、、いい意味で「ずっと好きだった、日本・・」
と言える国でいて欲しいと心から願っている。