7.22.2011

富士山

今から25年ほど前、バイクで仕事に向かう途中に新橋の交差点で
渋滞の間をすり抜けてきた右折ハイヤーに横から突っ込まれて、
交差点をまるまる空中ダイブして、ガードレールに激突。
くるぶしを骨折して鼓膜を破ってしまった。
救急車で警察病院に運ばれたおかげで入院にはならずに、
しばらく石膏のギプスをはめられたまま、ハイヤーに送られて通院生活をした。
ギプスを外してみると、くるぶしの内部が腐っていたようで、
小さなスプーンでがりがりと肉と骨をえぐられたときは、
痛い足も引きつるほど、体に電気が流れたようだった。
鼓膜はおかげさまで元通りに再生したが、
(再生させるために日々少しずつ鼓膜を突っついて傷つけるという
拷問のような治療法だった、折れてた足がまた折れるくらい体が硬直した)
くるぶしの関節は3ヶ月たっても、痛みはなかなか引かなかった。

いつまでも、足をかばって生活をするわけにもいかないので、
強制的にリハビリをするために一人で富士山に登るようになった。

休みがある度に、頂上小屋に予約を入れて
新宿からの高速バスにふらりと乗り込んで五合目に向かっていた。
大きなグレゴリーに持ってるカメラを全部詰め込んで、
三脚を持ち、大して眺めのいいとはいえない富士山行を繰り返した。

一人旅な外人女性をモデルにしながら登ったり、
頂上小屋で、高山病で具合が悪くなった時に、
信じられないくらい臭いおやじに看病され、添い寝されて余計具合が悪くなったり、
それがいやで、それ以降テントを使うようになり、
台風の最中も、もし何かあったらすぐ逃げ込んで来なさいと言われながら
激しい風雨の中、お湯を沸かしてカップヌードルを一人で食べたりしていた。
当時は、平日などはあまり人がいなくて、
御来光に向かってカメラを立ててシャッターを押している時間は
風はすごいが、とても静かないい時間だった。

3,4年経って、十数回登った頃に
足のうずきもなくなってきたことだし、
リハビリはもういいや。。ということで、
その後も白馬縦走などには行ってみたが、
富士山に登ることはしなくなった。


2002年にコールマンのカタログの撮影で
ロケ場所として、久しぶりに五合目を訪れた。
それ以前は、富士山にだけ気持ちが向かっていたせいで、
ロケハンに行くまで、五合目の手前の左側の駐車場から
続く遊歩道の存在をまったく知らなかった。
機材が多いとアクセスが少し不便だが、
風にさらされて曲がった樹木や、間近にそびえる富士山もあって
なかなか楽しいお中道散策コースである。

ここ数年は、富士山登山も流行っているようで、
嫁や姪っ子たちが毎年のように、私と犬を留守番に残して登っている。
富士山もいいけど、他の有名な登山道も楽しくて綺麗だよと話しても、
あまり聞いていないようである。

確固とした倫理・宗教観のない日本人にとって、
富士山を登るという行為は、
現代にあって非常に貴重な、共有しうる「聖地巡礼」なのだと思う。


写真は、お中道の駐車場から山側の富士山の斜面にて。
いつもお世話になっていたタフなモデル氏に、
小さな岩の上から数回ジャンプしてもらった。
ラフには無い現場ならではの写真も、嬉しいものである。
めでたく表1になった。

Hasselblad 150mm ネガ