2.18.2012

STREETS OF FIRE

1984年、年が明けて大学の2年に進級が決まり東京の暮らしにも慣れてきた頃、
何がきっかけだったかは記憶にないが
原宿のカフェバー”デイリープラネット”でバイトをするようになった。
2階の壁から竹下通りを見下ろすスーパーマンがいた店である。
中学の時に見た映画「スーパーマン」のおかげで
メニューに付けられた名前のほとんどは馴染みがあるものばかりだった。
大学進学を推薦で決めてから、繁盛している小倉の大箱の中華レストランでバイトをしていた経験もあって、正直、遊びながら給料を貰っているようだった。
酒の飲み方も知らない青2歳が生意気にシェーカーを振って、
原宿のマヌカンな御姉さん達にカクテルを振る舞い、
店内に設置された最新鋭の巨大スクリーンやモニターに、
好きなレーザーディスクやアメリカから送られてきたばかりのMTVのビデオ等を好き勝手にかけて楽しんでいた。

当時の最先端のカフェバーという、おのぼりさん的好奇心にも加えて、
ばりばりにチューンしたRX-7で女の尻を追っかけていた店長や、
バイクの楽しさを教えてくれたストイックな主任、
一つ年上の別の大学に通っていためちゃめちゃイケメンだった大島さん、冗談で一緒に暮らし初めて10年も部屋を共にした同い年の小野君と出合った、まさに真っ青な青春アルバイトだった。
当然ながら、女子のアルバイトは可愛い子でなければ入れない。
女子高のゆきちゃんと付き合うのには、そんなに時間はかからなかった。
夜中に店が終わり、彼女と二人で階段を下りて人通りの少なくなった静かな竹下通りに出て、ヘルメットを被りながら、クレープ屋の角を曲がって手袋を着ける。
裏手に止めてある人生初の大きな買い物だった中古のCBX400のエンジンに火を点けて、二人乗りで静かに走り出す度に、東京という街に出てきたことを実感していた。

1984年Olive44号より
特集「原宿で、さわやかな男の子みつけてドキッ=!」
で取材を受けたときのもの。
母親が「子供の頃に古着ばかり着せてごめんね。
今でも古着を着よるんかね」と
涙を流したのは、この記事のせいだった。
一緒に暮らすことになった小野君と、
死ぬほどはまった映画が「STREET OF FIRE」だった。
夜中に新宿の歌舞伎町に10数回はバイクで走って観に行った。
そして朝まで延々と見続け、帰りに歌舞伎町に立っている女性達を見て、新宿という街のなんたるかを理解した。
レーザーディスクが出てからは、毎日のように店でかけていた。
おそらくお店のお客さんは「またかよ・・」だったはずである。
バイト中に体を動かしながらこの映画を大音響と共に浴び続けたおかげで、いまでは、部屋をもくもくと掃除するときの条件反射起動DVDになってしまった。おそらく通算で200回は見ていると思う。
ストーリーはなんてことないが、冒頭と最後のライブシーンのエレン(ダイアンレイン)と、ちりばめられた楽しい音楽、ジョルジョ・アルマーニによるめりはりのあるスタイリング、バイク・車のエンジン音が渾然一体となって体に滲みこんでしまった。
と、言いながらも一人で夕食のとき、、見るべき録画テレビがないと、
犬に「またかよ・・」という目をされながらプレイステーション3の
コントローラーを握って、大音響で踊りながら食べている有様である。
エレンの歌が国内のドラマ用に日本語で歌われてしまって、この映画の持つ素晴らしい世界観が壊されたことは、最高に悔しかったが、間違いなくこの映画は自分にとって珠玉の青春の一本なのである。
現在、このDVDはなかなか手に入らないらしいので、是非、レンタル屋さんで途方にくれた時は、こいつを手にとってみて頂きたい。



2年間ほど、お世話になった「デイリープラネット」は、
コミックへの利権料のこともあり閉店した。
退職金として、デビッドボウイのレーザーディスクと
スーパーマンのマークの入った灰皿と皿を頂いた。

そして、間髪を入れずにゆきちゃんが「中山さん、ここでバイトして!!面白そう!」
と言いながら持ってきたアルバイトニュースのせいで、
超ミーハーアルバイト第2弾・表参道マンボウズで悪の道に進み、
前回のポストに続くのである・・・