2.15.2012

Whitney Houston

1987年、大学時代にどっぷりはまった水商売のアルバイト先に、
大学卒業後に就職が決まっていた。
表参道のシーフードレストラン・マンボウズを運営していた会社だった。
実は、特にやりたい仕事が見つからなかったこともあって、
同期の学生達はがいそがしく就職活動をしていたが、
自分は就職ということをまったく無視していた。
マンボウズの重役の方に口説かれて、4月の1日から社員として働くことになっていた。
3月31日の夜、その店で共にバイトをして、
仕事が終わってバイクでちょくちょく富士山や成田まで
走りにいっていた仲間達とたむろしていた。
「俺、ほんとにあそこに就職していいのかな~?」と漏らすと・・・
「やるって言ったんならしょうがねえだろ・・」
「ま、しばらくやって嫌だったらやめりゃいいじゃん」
「たっちゃん、結構向いてるとおもうよ~」と普通に戻ってきた。
ところが、、、一番仲の良かった柳沼が、
「やめちゃえば?あんたがそう思うんならやめちゃえばいいじゃん。」と言った。
その一言を煙草を吸いながら聞いていて、パチンと何かがはじけた。
自分なりにかなりきちんと仁義をきって入社の面接を受けて内定を貰っていたにも拘らず、
「ふ~~やっぱ、やめたっ」と呟いてしまった。
柳沼が「いいね~~ぐふふふふ(こいつはいつも下品に笑う)
じゃ、どっか逃げたほうがいいね、仙台にマハラジャ出来たらしいから
今からみんなで行かない?」
「行く?よし、行こう。ちょっと待てよ、会社に一筆書いてから行こう」
悪友柳沼のふざけた一言で、人生のスタートは仙台への逃避行になった。
「この話、無かったことにしてください」というような
意味不明なボールペンで書いた手紙を会社のポストに投函した。
都合が付くものが4,5人集まってくれて、
ワンボックスのレンタカーで一路、仙台を目指した。

車の中では、柳沼が持ってきたカセットテープがずっとリフレインしていた。
ずっと、ずっとホイットニーヒューストンだった。



名前だけパクったとしか思えない
仙台のディスコ・マハラジャの小さなミラーボールも、
暗闇に浮かび上がる伊達政宗の銅像も、
疾走する道路の流れる路面も、
帰りに立ち寄った温泉の残像も、
完全にホイットニーヒューストンの歌声とシンクロしていた。
何もかもが、輝いて見えた。
そんなきらきらした舞い上がるような視覚と、
彼女のはじける歌声と、時代の空気が見事に融合していた。
ほんとの成人式はバイトをしていたせいもあって、
まったく出席する気も無く経験することは無かったが、
この逃避行こそが、今思えば自分にとっての「成人式」だったような気がしている。

そんな一つしか歳が違わない彼女が逝ってしまった。
素晴らしい歌声と成功の引き換えに、
いろんな問題にも悩まされた人生だったようだが、
早すぎるだろう・・・
50歳になった彼女が歌う渋い力強いジャズも聴きたかった・・
彼女の分まで、彼女の歌を聞きながら長生きしてやろうと思う。

合掌


彼女の写真は、残念ながら、ない・・・
素晴らしい歌姫が、歌い続けてくれた
「成人式」の頃の自分。
10年間、部屋を共にした小野君が撮って、
プリントしてくれたもの。
銀塩プリントが変色するほど、
時が経ってしまった。
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