1.14.2016

Quintessence再起動


@八ヶ岳大橋

年があけてからもあまり気温が下がらないおかげで、
雪道ドライブも雪中行軍もなしに、冬場の澄んだ空気の中で
正月から時間があれば気になるポイントに気軽に写真を撮りに行っていた。

@美し森展望台

ようやく10日を過ぎたあたりから
明け方に窓ガラスの内側が少し凍るようになった。


昨年スタートしたQuintessence(カンテサンス)
に加える写真を積極的に狙うシーズンの到来である。

昨日の朝、ユニクロのももひきの上にクシタニのレザージーンズを履き、綿のソックスの上に厚手のウールのソックスを重ね、履き慣れた長靴で川に突入した。漁師が潮の流れと満ち引きを想定しながら獲物を探すように、頭に入っている水辺のポイントと太陽の角度をイメージしながら軽トラを走らせた。
いったいどんな行程でできあがるのか微速度撮影で見てみたくなるような不思議な造形や宝石のようにきらきらと朝陽に輝く氷達は、笑ってしまうほどユニークで美しい。まるで氷の女王の理不尽な魔法によって熱エネルギーを奪われ偏屈な固体に封じ込められた水の分子がまるで太陽のフラッシュとともに魔法が解かれ喜びながらを液体へと戻っていくようにも思える。あたり一面に存在する唯一無二のつららや氷を瞬間的に判断しながら次々と写真に収めていくのは言葉では表現出来ないほど不思議な高揚感がある。
電池蓋が破損してカードが剥き出しになっているSIGMAを水に濡れすぎないようにケアーしつつ、氷やこけで転ばないように気をつけながら、まるで子供のように凍り付いた川を歩き回った。
あたりには誰もいないのをいいことに、熊よけもかねて訃報を聞いたばかりのデビッドボウイをiPhoneマックスボリュームで聞きながらカメラのバッテリー5個が消耗するまでの約2時間、無心で氷にむかってシャッターを切った。サーという称号を受け取らずに最後のシングルPVに自らの死を盛り込んだ一ミュージシャンとしての生き様は、若い頃から聞いてきた音楽と青春の記憶とともに私の身体に深く刻まれた。

吐竜の滝の帰路、山全体を震えさせるような凄まじい空気を切り裂く音がした。おそらく猟銃の発砲された音だろう。その音の余韻がこだまのように数秒間感じられるほどだった。音楽を聞いていない静かな状態だったらとっさにしゃがみ込んでしまうほどだろう。山にいる生き物すべてがきっと驚いたはずだ。狙われた動物のこと、流れ弾の心配、動物を銃という飛び道具で殺す人間のこと、さまざまなことが頭をよぎった。駐車場に戻ると鳥獣捕獲活動実施中というステッカーを貼ったジムニーが止まっていた。

(写真はすべてクリックでフルスクリーン推奨 SIGMA DP2/DP3 Merrill)















2016年も地球はどんどんいろんなもので
汚染され続けていくんだろうと思うとやりきれない気持ちになる。
金儲けやマネーゲームのための産業を考え直すべきだと思う。
人間の良心では後戻り出来ないような利益優先の産業は
きっと取り返しのつかない付けを人類にもたらすことになるだろう。

少しくらい金があったところで、
他人より少し値段の高い服を着たり
ピカピカの高級車に乗って、
高い家賃やローンを払うだけのことで、
むしろ余計な欲が増えるだけである。
それぞれがつつましくシンプルに笑って生きる術を
身につけていかなければ、と思う。

簡単なことではないかもしれないが、
それぞれが望むつつましい幸せと、
隣人に対する思いやりと、
限られた地球の恵みを無駄遣いしない暮らしを心がければ
人類の歴史も捨てたもんじゃなくなるはずだ。


どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。
中山達也